1.門 柱
昭和四十三年春、ご本尊のお告げにより、初代別当渡辺キヨの米寿を記念して、境内左の出入り口に門柱を建設した。石材は茨城県のみかげ石を用い、高さ3m60cm、直径55cmである。

門柱の文字
陰刻するための文字は、書家江川蒼竹先生の揮毫によるものである。
   
 
2.導地蔵堂
境内左側門柱脇に、立派なみ堂が建設されている。これは平成二年四月に、八十周年記念行事の一環として建設されたものである。

この地蔵堂正面
昔はお地蔵さまがご出現の地点に小さなみ堂を建てて、三体のお地蔵さまを安置していたが、周辺の宅地化が進んだため、現在地(新潟市上新栄町)に移転した。
   
 
3.身代わり地蔵尊
信者佐上竜之助は「お地蔵さま」の奉納を念願し、かねてよりご本尊に祈念していた、昭和四十八年春にご本尊から次のようなお告げがあった。
「我は生まれた時は美顔・美形であったが、永年にわたる菩薩行のため、体はぼろぼろになっている。故に汝願いでの地蔵を安置するがよい。これを我と思い、汝らに病があるときは、その悪いところと、我の同じ場所をご加持(マッサージを繰り返すこと)して祈念すれば、重病は軽くし、軽い病気は全快させるぞよ。」とお告げになられたので、このお地蔵さまを「身代わり地蔵さま」と称名された。
   
 
4.水掛け三尊不動尊(菅谷不動尊)
昭和四十七年、眼病供養不動尊を招致したいとの声が高まり、堂守渡辺喜太郎、佐上龍之介、佐上敏雄が富山の大岩不動尊に詣でた。帰路高岡市に赴き、同市の名高い仏壇店に「水掛け三尊不動尊」の制作を依頼した。
昭和四十七年九月十一日の秋季大祭の折、開眼を行った。
この不動尊は六十周年記念行事の一環として制作したものである。
   
 
5.梵鐘
昭和四十七年四月に、六十周年を記念して奉納されたものである。
梵鐘は仏菩薩の功徳を大音声によって表し、無明災火を破って、菩提正覚を成就せしめるため大切な法器といわれている。
   
 
6.十三仏塔
境内に入ると右側に、十三仏塔がそびえ立っている。
これは、昭和五十六年四月に、七十周年記念行事の一環として福島県野沢町の鈴木石材店の制作により建設されたものである。
塔の形は種々多様であるが、大供養が根本目的であって、一、三、五、七、十三重の塔があり、造立する心は和讃にある賽の河原の幼子が、父母を恋して小石を積み供養する心と同一である、といわれている。
   
 
7.六体地蔵尊(六地蔵尊)
導地蔵堂の隣には、平成二年三月に、新築された地蔵堂がある。
この地蔵堂の中には、信者か寄進した赤いずきんに赤い衣をお召した六体の地蔵尊(お地蔵さま)が安置されている。これは、八十周年行事の一環として奉納された六地蔵尊で、福島県白河市の姉妹彫刻師(鈴木マリ子、藤田るり子)さんの作製である。
   
 
8.子育地蔵尊
本堂前の左側に、左右に童子を伴い、かれんな幼子を抱いているお地蔵さまがみかげ石の台座の上に安置されている。
このお地蔵さまは、著名な彫刻家早川亜美先生が制作された金色のブロンズ像で、子育地蔵尊と称名されている。
子育地蔵尊とは、子供たちの無病息災を祈念される地蔵さまを具現したものである。